イセヒカリ 歴史年表

イセヒカリ資料

公式の山口イセヒカリ会発行資料を元に、イセヒカリ誕生、命名、普及の流れを年表にまとめました。


年  出来事+担当者・役割(敬称略)


1989年(平成元年)
森 晋(神宮神田管理責任者) が伊勢神宮御神田で台風により倒伏したコシヒカリの中から 直立した2株の稲を発見。この株が後のイセヒカリの起源となる。


1990年(平成2年)
森 晋の管理のもと 試験田で1本植え栽培を実施 → 均一に揃う特性が確認される(育種試験開始)。


1991年(平成3年)
引き続き1本植え試験の観察 を継続(特性評価を深める)。


1992年(平成4年)
1本植え試験観察を継続(特徴評価)。


1993年(平成5年)
「コシヒカリ晩」 として本田栽培へ移行し、栽培試験を継続。


1994年(平成6年)10月
岩瀬 平(元山口県農業試験場長) が伊勢神宮神田管理事務所から 変異株(稲株5・稲穂3束)を受け取り評価・分析を開始。


1996年(平成8年)1月16日
酒井 逸雄 少宮司(当時) が千年記念の祈念として 「イセヒカリ」と正式に命名。


1996年(平成8年)度
山口県神社庁 と 吉松 敬祐(山口イセヒカリ会/原種圃担当) の関与で 神社からの要望に応え種籾頒賜が開始。


1996年(平成8年)4月22日
読売新聞などで 「伊勢神宮に新品種誕生、イセヒカリと命名」 の報道が出て一般に知られる。


1997年(平成9年)度
神宮司庁/山口県神社庁 によって 希望神社への種籾頒賜が拡大(普及期)。


1998年(平成10年)
山口県神社庁・山口イセヒカリ会/吉松 敬祐 が 原種特定へ向けた協力体制を構築。


1998年(平成10年)度
山口県産業技術センター が イセヒカリ純米酒の開発 を実施(基礎評価)。


1999年(平成11年)10月25日
山口県神社庁が「いせひかり」を商標出願


1999年(平成11年)6月
佐藤 洋一郎(静岡大学・遺伝子分析) と 吉松 敬祐 により遺伝子分析が進み 熱帯ジャポニカの遺伝子を持つ新品種と判定(科学的評価)。


2000年(平成12年)11月 17日
山口県神社庁が「いせひかり」を商標登録
登録4432459 (商願平11-096252)


2002年(平成14年)12月5日
藤岡 神宮少宮司(当時) と 吉松 敬祐 によって 原種(系統2号)として扱う了承が得られ原種が確定。


2003年(平成15年 )
山口県青年神職会 と 吉松 敬祐 が 原種圃設置・種籾冷凍保存体制の整備を進め体系化。


2004年(平成16年 )
農林水産省審査員/山口県産業技術センター による審査で 均一性・安定性・識別性が評価され品種として科学的評価が得られる。


2005年(平成17年)3月
山口イセヒカリ会/吉松 敬祐 によって イセヒカリ栽培特性資料が完成・報告書としてまとめられる。



補足(担当者を含めた背景

(敬称略)

  • 森 晋
    初期管理者として 変異株発見・栽培試験開始の中心人物
  • 岩瀬 平
    育種評価・分析の中心 を担い、後の普及・品種判定へつなげた。
  • 酒井 逸雄
    命名者(皇大神宮少宮司)として「イセヒカリ」を正式に決定。
  • 吉松 敬祐
    原種圃での選抜・保存・普及体制整備 の主役として関与。
  • 佐藤 洋一郎
    遺伝子分析 を担当し、科学的な新品種評価を実現。
  • 横尾 政雄 —
    原種選抜の科学的指導者。
  • 山口県神社庁・神宮司庁・山口県青年神職会・山口イセヒカリ会
    普及・頒賜・保存体系整備の主体組織。
  • 山口県産業技術センター / 農水省審査員
    科学的・技術的評価の実施。

イセヒカリの流れ

発見期・発見と試験段階(平成元〜5年)

  • 台風被害のなかで直立した2株が発見され、変異株として研究が始まる。
  • 初期は「コシヒカリ晩」として栽培される。

命名・普及期・名前の誕生と頒賜(平成6〜9年)

  • 伊勢神宮で命名され、種籾が神社へ下賜され地域へ広まり始める。
  • 神宮司庁の方針で全国から要望が集まる。

原種特定・分析期・原種特定と開発(平成10〜14年)

  • 山口県内で原種選抜と栽培研究が進み、遺伝子分析で新品種と判定。
  • 原種(系統2号)が決まり、冷凍保存体制や斎田設置など体系が整えられる。

原種確立・体系整備・品種としての整備(平成15〜17年)

  • 農水省審査による評価・原種種籾の活用体制整備。
  • 2005年(平成17年)に資料として公式にまとめられる。


奇跡のお米・イセヒカリ